エリアトピックス

画像1

画像2
大川徳治顕彰碑

画像3

【地域ニュース】「佐倉の民営水道創設者」大川徳治顕彰碑の除幕式が行われました!

2018/07/31

佐倉の民営水道創設者
大川徳治顕彰碑の除幕式が行われました

 6月1日(金)、佐倉市鏑木町で佐倉の民営水道創設者である大川徳治の顕彰碑が竣工、除幕式が行われました。
 大川徳治は、明治17年1884年に佐倉の弥勒町に生まれました。大正12年、関東大震災が発生し、同町の深い共同井戸で水を飲もうとした少年が誤って命を落とした事故をきっかけに、このような惨事が二度と起こらないよう、麺製造販売業から転身、私財を投げうって給水事業に尽力します。翌年、自宅でモーターをまわし、近隣十数戸に給水を開始、幾多の困難を乗り越えながら、佐倉の台地に配管網を敷設。昭和31年、佐倉市に譲渡移管するまでの32年間にわたり、生涯を水道事業に捧げました。
 現在、佐倉市の水道事業を担っている佐倉市管工事協同組合では、佐倉の民営水道創設者である大川徳治の功績を伝える顕彰碑の建立を以前から市に要望しており、この度の念願の竣工に至りました。
 式典では、始めに施主を代表し、佐倉市管工事協同組合の岩﨑博之代表理事が挨拶。顕彰碑竣工の感謝を述べるとともに、地域の皆さんに給水事業に尽力した大川徳治の存在を知って頂きたいと挨拶しました。続いて、来賓を代表し、蕨 和雄佐倉市長がお祝いの言葉を述べ、大川徳治の功績を振り返るとともに、佐倉の水道の礎を築いた偉人の存在を広く市民に知って頂くことに期待を寄せました。
 除幕は、佐倉市管工事協同組合代表理事を始め、佐倉市長、佐倉市上下水道事業管理者、市職員、大川家の末裔ら5名で行われ、地域住民が見守る中、布がとられると、温かい拍手に包まれました。顕彰碑には、徳治の辞世の歌である「丘の上の 佐倉のまちの土を掘り 鉄を埋めて 吾老いにけり」の句と、功績が刻まれています。除幕後には、地域住民が顕彰碑を興味深げに眺める姿が見られ、初めて大川徳治の存在を知ったという人も多く、今日の恩恵の陰には、幾多の困難を乗り越えながら、給水事業に心血を注いだ人物の存在があったことを知る契機になりそうです。一人の少年の死をきっかけに、試行錯誤を繰り返しながら、私財を投じて佐倉の台地に水道の礎を築いた郷土の偉人、大川徳治の生涯に思いを馳せてみませんか。

大川徳治顕彰碑 佐倉市鏑木町字袋町147番4
●(問)佐倉市管工事協同組合 043-486-7879