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すたっとコラボレーション「商店会を考える」vol.2 2007年1月(前)

2008/09/14

大型店舗の参入やライフスタイルの変化などにより、商店会を巡る現状は厳しい。そんな中、商店を営む皆さんは、どのような意識で取り組んでいるのでしょう。佐倉市新町にある「手づくり工房さくら」に、5つの商店会の皆さんが集まりました。

座談会の後編とインタビューをお届けします。

《中村》 まずは皆さんの商店会の現状を教えて下さい。
《吉川》 四街道は、駅北口に点在して商店があり、市内には全部で8つの商店会があります。平成17年の大型店舗移転に伴い、大日地区の商店会が壊滅的な打撃を受け、移転先である駅前の商店会も多大な影響を受けています。現在は、大型店舗の移転をきっかけに世代交代をはかり、既存の商店会を残しつつ活動を一本化して、連合会の形を作っていく方向で動いています。
《坂巻》 木下駅前は商店会としての実態が薄く、南口で骨董市を開いたり、川が近いのでお客様を乗船させるなどの試みも行っています。しかし、商店会の利益に直接繋がりにくい状況です。千葉ニュータウンは大型店舗ができていますが、地元企業の参加は数社で、今後開店予定の大型店舗の中にも参入は見られず、ニュータウン開発は、よその土地の話になっているのが現状です。
《大木》 日吉台は、成田空港と一緒に育ってきた街。元々、住宅地として開発されたのですが、現在では商業地域となっており、路上駐車が多く住民から反発も大きいです。問題を行政に働きかけ、協力していける土壌作りの必要性を感じています。商店会はできて3年程で、オーナーは他市町村に住んでいる人が多い事から、まちづくりの取り組みも中々進まず、イベントを組んでも浸透しない。約80店舗が会員ですが、中心で動いているのは数名で負担が大きくなり、精神的にもマイナスです。そんな中、30代の若い世代がまとまり、小さなコアができ始めているのが希望です。
《久野》 商店会とは、地域に根を張っている店主が、まちおこしを考えて活動するものだと考えます。私は5年前に富里インターチェンジ傍にあるコンビニエンスストアの店長を務め、ご近所の方と毎日顔をあわせているうちに、付近の地主さんや大型店舗の経営者、自治会の方とも交流が深まり、皆さんから「あなたが商店会をやりなさいよ、よそ者だからいいのよ」と言われて今、富里インター商店会を立ち上げようと奔走しています。5年前には想像もつかなかった事ですね。
《中村》 どこの地区も同じような悩みを抱えていますが、そんな中どのように取り組んでいますか。
《吉川》 四街道は約30年前に大型店舗ができて、親からは「大型店は敵だから買っちゃいけない」と言われてきましたが、大型店舗を中心に商店が広がってきたのです。当然そのエリアにとって、大型店はなくてはならない存在へと変わり、集客を見込んで商店が増えていきました。ところが、その大型店舗が駅前に移転。移転先となった地区の商店会では、地元のスーパーが閉店し、私の店も自信を持って営業していましたが、前年に比べると売り上げが落ち込んでいます。共存を考えたら、大型店舗が駅近くに移転してきた事で、駅から大型店舗までの直線道路を再開発し、何とか商店会再編の起爆剤にしたいと考えています。それには、行政との連携が必要です。
《大木》 四街道の大型店を核にという話のように、日吉台は駅前のダイエーがあった時には、店も多く通りも賑わっていました。閉店と同時期に在住者も高齢期にさしかかり、シャッターを下ろす店が増えました。商店会にとって大型店は、共存共栄という意識がありますが、大型店にとって商店会の存在は小さく、単独で集客できるのだからという意識が強いのが残念です。ダイエーの跡地に、現在は病院誘致の運動を起こしています。日吉台の商店会から始まった小さな動きでしたが、今では富里住民約2万名の署名を集め、市も県との交渉を始めました。病院という新しい核ができると、今までとは違ったまちづくりができるかもしれないという希望にかけています。自治会の皆さんとも融合できるチャンスがあると考えています。
《久野》 富里は開拓村ですから、皆よそものでした。スイカが全国に誇る名産品となったように、農業を軸足に一生懸命まちおこしを進めてきました。そして30年前、新住民が越してきました。その人達は職場の縁で生きている人達で、農家の皆さんは土地の縁で生きてきた人達。私が富里にやってきて、この街に根を張って生きていこうと決めた事が、近所の皆さんと付き合うきっかけになりました。今や団塊世代も職縁から、地縁に目覚めるしかないのです。そして、地権者も協力して地域価値を高める事が大切。
《中村》 佐倉は、歴史や自然に恵まれていますが、素材を活かしきれていない。新町通りも昭和30年代には周辺から多くの人が訪れ、賑やかだったそうです。秋祭りが行われた時、若い人達の活力に驚きまして、この祭りの中にまちづくりのヒントがある気がしました。
《吉川》 四街道市では、駅前のメインストリートの名を市民に募集して「松並木通り」となりました。そこに商店が並ぶのであれば「松並木商店会」で再生をはかりたいと思います。大日の商店が限界を迎えている中、頑張りたい方には、駅前で一緒にやりましょうと声をかけたい。年配の方と話すとやはり「昭和30年代の商店街は良かった」という話を聞くので、その頃のイメージを大切にアーケードを設け、あえてコテコテの商店街を作りあげようかと考えています。昔ながらの商店街を作れば、その環境に呼応して商店主の皆さんも創業当時の思いに戻り、また頑張ろうという気持ちになってくれるかなと。団塊世代も多く、自分の街に寝に帰ってくるだけの人達も、街を歩いた時に懐かしい香りがすると居心地がいい。都内で働いてきた人達なので「お帰りなさい」の雰囲気がいいと思います。30年代の雰囲気が新鮮に映るはず。最先端な大型店とのギャップも面白い。便利な物を販売している大型店に出かけたら、周りに古めかしく懐かしい商店会があり、ちょっと歩いてみようという気持ちになってくれるかなと。資本ではかないませんから、違った角度の魅力を出していきたい。
《大木》 お客さんが歩きたい街並みというのはいいですね。今の日吉台は歩いても飲食店とブティックが数点。面白味に欠けますね。やはり30年代の商店街のように、歩けば全て揃う、見るだけでも楽しいような店舗が出せると、発展できそうな気がします。その為には、地主さんやビルのオーナーと一緒に、この街の価値をあげようという話から進める必要があります。
《久野》 私は大木さんと会えた事で、商店会の皆さんと顔見知りになる事ができ、買い物に行くと「どうも」と声が返ってくる。その「どうも」が僕の街だなあと実感する。コンビニでも、お馴染みさんがいらっしゃるけど、入り口で「おう」と挨拶をしてくれる。この「おう」が、コンビニの命だと思っています。昭和30年代の商店街には「おう」があったんじゃないかな。
《吉川》 お肉屋さんに買いにきたら、隣のお惣菜屋さんを勧めたりと、紹介しあえる関係もいいですね。うちは女性のお客様が多いので、新しいケーキ屋さんができたら「ケーキ屋さんの○○が美味しいよ」までの会話の情報交換ができるようにしています。
《坂巻》 うちは不動産業なので、引越してきた方からお店を尋ねられる事が多く、地元の商店を教えますが「営業日なのに休みでした」と言われる事もあり、店主の心持ちから変わらなくてはいけないと感じますね。
《久野》 私はコンビニから始めるまちづくりの意識で、コンビニの機能を広く市民に開放して運営しています。まちおこしに対してスタートラインに立ったばかりですが、お客さんと接しながら、その土地に根を張る事がいかに幸せであるか、それを教えてくれたのは地域の人であり、商売を始めてからできた友達、人の輪です。それは、とても幸せなことです。

読者の皆さんにとって、商店会は、どんな存在でしょう。
あなたの街の商店会について今一度、考えてみませんか。